交流15 摂理について調べ上げる毎日/反抗心を持って彼らと関わり始めた話。

 時期は2019年4月のことです。大学が始まったりするなどして忙しくなったため、摂理からしばらく離れていました。ただ、僕は家から大学までの通学時間が往復3時間は超すほどあったので、その時間を利用して、摂理に関する資料や論文を探し出しては読むことをしていました。

 特に一番役に立ったのは、摂理脱会者の会の人たちによって運営されているサイトS-tationです。

https://station.okoshi-yasu.com/  (リンク)

 ここには教祖によるセクハラを受けた人たちの手記があります。内容についてはここでは伏せますが、いずれにしろそのようなことがあった模様です。また他にも、摂理について詳細に記述された資料がいくつもありました。

 もう一つ、重要な情報ソースとして櫻井義秀氏(北海道大学教授)の論文がありました。これほど摂理についてまとめ上げられた資料は他にないように思われます。

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/33015/1/No1501.pdf (リンク、北海道大学学術成果コレクションHUSCAPより)

 他にも、教授や脱会者の方にメールを送り、丁寧に対応して頂いたりしていました。上述の論文は、元はそのメールに添付されていたものです。

 そのようにして、僕は摂理によるマインドコントロールから脱し、彼らに対して明確に敵意を抱き始めました。勧誘にさいして正体を明かさない、自分たちに都合の悪いことは隠蔽する、教祖の強姦事件に目を向けることなくむしろ崇め奉るようなことさえしている、そのような卑怯な、内輪で凝り固まったような集団が何も知らない大学生を狙って電通大の中に潜んでいる。そんな事実に対して怒りを覚えるようになっていきました。

 そうしているうちに演劇の講演などが終わり、時間的余裕ができたころ、摂理の信者たちからまたバイブルスタディの誘いが来るようになりました。彼らに対しては、もうすでに明確な敵意を抱いていましたが、それと同時に、摂理のような矛盾した異端カルト宗教と関わることができているという現実に面白さを感じていたりもしました。このような連中と関われる機会はむしろ貴重であり、そのような集団は、僕にとってむしろ興味深いものでもありました。

 調べている中で、バイブルスタディは30の講義で構成されており、話の中によく出てくる”牧師先生”こと教祖チョンミョンソクが成約時代の再臨のキリストであると自分から言い出すようになったら、摂理の”メンバー”として仲間入りを果たすという情報を見つけました。それなら、すべての講義を聞いても、僕がそのようにいいださなっかたら、彼らはどのような反応をするのだろう?という興味が湧いてきました。それを確認したり、彼らを観察したりするような目的で、半ば伊達と酔狂でかれらともう少し関わってみよう、そのように思っていました。

 そうして、また摂理による御言葉を聴きにいく生活が始まりました。ただ、彼らに対する憎悪は心の中にかなりあったので、それが態度に出ていたのか、信者たちから信仰心を持っているのかどうか疑問に思われ、問われたりすることがありました。僕はそのたびに

 「いや、神様をちゃんと信じてますよ。事実僕はいつも聖書を持ち歩いていますし、読んでいますよ。」

 などといって、彼らを言い負かしていました。それは事実でしたし、そのために聖書を見せびらかしていたりもしました。

 また、摂理に関する資料を印刷して、彼らと関わるときは常に持ち歩いていました。これは、何かのはずみで僕の摂理に対する反感がばれたときに、彼らに叩きつけようと思って用意したものでした。これは後日、役に立つ機会がありました。

(続きます)

ーーーあとがきーーー

・神様を信じていたことは本当です(!)。

・忙しさが減ってきたゴールデンウイーク後半辺りに、彼らと出かけることがありました。どうも完全に信者だろうと思われる人たち5~6人で新宿で遊ぼう!みたいな感じです。摂理では、それなりに信者になりそうな人には、このように接待をしてくれるようなところがあるようです。(僕は集団行動が苦手なので、あまり楽しくはなかったのですが…)集団行動を面白いと感じられる人にとっては、摂理は魅力的なところなのではないかと思われます。

・彼らに対して、彼らにとって都合の悪いようなことを言うときは、「神様が言ってたんだけど」と、神様の権威をもちだしつつ言うと言い返されることはありませんでした。逆に「自分の意志で」といったようなことを言うと、怒られました。「なんで神様のお導きに従わないの?」「それは肉体に惑わされている」といったような理由です。不思議な文化ですね。