交流12 僕につけられた監視役(相談役)/ボランティア活動

 時期は3月中旬ごろで、具体的な日にちまでは覚えていないのですが、いつものように御言葉を聞きに行こうとして彼らのマンションに行ったときのことです。そこで初めて会う信者の人がいました。名前は戸枝(仮名)といい、私立大学の文系学部に通っているとのことでした。見た目はキツネみたいな細い目をしていて、暗めの色のリネンシャツに身を包んだ、いかにも頭がよくはなさそうな大学生のイメージを非常に反映した人物のように感じられました。

 教師役の人が来るまでの間、彼と適当に会話していました。彼に限らずなのですが、「何か悩んでいることはない?」「御言葉が悟れないということはない?」などとよく聞かれていましたが、戸枝は他の信者よりもそれらの事柄をよく聞いてくる傾向があるように思えました。

 少し余談ですが、教師役の人には特に

「御言葉を聞いていて、何か疑問に思ったことはない?君は毎日御言葉を聴きに来ているから、きっと興味がないはずはないんだろうけど、だからこそ”何か変だなあ”とか考えたりしない?」

 とよく聞かれていたのですが、そう言うときには僕はよく

「何かが良いか悪いか、ということは、その”何か”についてよく知らないと正しい判断を下すことはできないじゃないですか。だからまずはそれについて深く知ることが第一だと思うんです。良し悪しを判断するのはそのあとからの方がより良いと思いませんか?」

 と言ってその場をやり過ごしていました。事実僕はそう思っていました。

 そうして御言葉を聴き終わった後、戸枝に教師役の人、春日(仮名)に他の信者たちと、そこそこの人数が彼らのマンションに集まっていました。いつものように御言葉の感想とかを含めた世間話をしていると、信者の一人が「カタンっていうボードゲームやらない?」と誘ってきました。ええやりましょうと僕が答えたので準備を始めました。しかし春日の方はパソコンで何やら作業をするらしく、やらないと言っていました。彼が何をしているのか気になったので、僕は彼に話しかけました。

 パソコンの方をのぞき込んでみると、なにやらサークル宣伝用のスライドを作っているようでした。そういえば以前、彼はこんなことを言っていました。

 「僕、ボランティアサークルを作りたいんだ。昔の電通大にはあったらしいんだけど、今はもうなくなってしまったんだ。普通その手のサークルってどこの大学にもあるんだけど、電通大にはない。これはちょっと良くないなと思って。似たような花壇整備をするサークルはあるらしいんだけど、それよりももっといろいろなボランティアに参加できるような、より自由度の高いサークルを作りたいんだ。」

 そして実際に作ろうといろいろ活動しているらしく、今日はそのためのスライドづくりをするとのことでした。実際そのスライドの完成度は高く、その手の技術はあるんだなあこの人はと感じていました。

 そうしてパソコンをいじる春日は置いといて、残りの信者でカタンをやっていました。これが結構盛り上がって、最終的には僕が勝ったので、信者の人に「今日のお祈りで、勝てたことを神様に感謝するといいよ」などと言われたのを覚えています。そうしていたらいい時間になっていて、お開きムードになっていました。戸枝以外の他の信者はやることがあるらしく、僕はその戸枝と一緒に帰ることになりました。

 時間としては午後3時くらいです。遅めの昼食を食べようかなと思って、調布にあるラーメン屋さんにでも行こうと思いました。(そらまめというところです。美味しいですよね!)道中戸枝がついてきて、なにやら説教臭いことを始終僕に吐きつけてきました。曰く

 「いいか、今は成約の御言葉が伝わっているように、成約時代と呼ばれる時代に生きているんだ。だからこそ、時代性に即した御言葉を聴かなきゃならないんだ。そうでなきゃ、バイブルスタディで学んだと思うけど、救いのレベルが決まってしまうんだよ。僕が君のことについてほんとに心配しているのは、君は成約の御言葉を聴いているのに、他の”時代の止まった人たち”の御言葉や賛美歌に興味をもっていることなんだよ。そんなものに関心を持ってしまうせいで、せっかく成約の御言葉を聴けるように、神様が導いてくださったと言うのに、もったいないじゃないか。そんなの、神様が望んでいることとは言えないよね。」

 などといって、見かけは優しそうに装っていましたが、内容は僕が摂理以外のキリスト教文化などに興味を持っていることの非難でした。僕は、そんな時代性なんかで神様は人間を差別するような小さい存在ではないと思っていましたし、何よりも僕の興味に対してケチをつけてくる戸枝に反抗心を抱いていました。しかしまだ喧嘩をするのは早いだろうとも思っていましたし、僕は自己弁護のために、こういい返していたかと思いました。

 「そりゃあ、成約時代の御言葉を聴くことは大事なことかもしれないですけど、そもそも僕は聖書を勉強して、また神様を信じるようになって日が浅いことぐらい先輩なら良く知っているじゃないですか。何も知らないところから、新しい世界を覗き始めたのですから、まずは神様について知ることが先決じゃないかと思うんですよ。そして神様は、皆さんの言う通りなら、旧約の時代があって、新約の時代があって、そして成約の時代があるんでしょう?そしてそのどれもは神様が関わっているわけですし、無視していいものではないでしょう。実際バイブルスタディは旧約・新約聖書を使っているわけですし。ですから、僕はそれらについて知ろうとしてるだけなんです。成約の御言葉というものも毎日聞きに行っていますし、決して疎かにしているわけではないですよ。」

 このようなことなどを言って、彼らの顔を立ててやりつつ、自分の興味の弁護に専念していました。しかし、戸枝はそれを聞き入れたかというとそうではなく、どうやら僕の言ったことなどは耳から入って頭に届いていないらしく、先ほどの内容を繰り返していってくるだけでした。最近駅前で良く顕正会が勧誘活動やっていますし、彼らと話したことがある人ならわかると思うのですが、カルト宗教の信者は人の話を聞かずに自分の話しかしてきません。戸枝もまたそのような、自分の頭で物事を考えられず、神やキリストの名を騙るチョンミョンソクなどのアホに吹き込まれたかりそめの真理をオウム返しすることしかできないような、非常に頭の弱い子供のように僕には感じられました。

 彼が僕を非難する、僕が言い返す。そのような無意味な言い合いをそらまめが面している路地の前で10~20分ほど延々とやっていました。流石に僕はおなかが減ってきたことに耐えられなくなったので、僕はご飯食べますけど、先輩もどうです?と彼を誘って、続きは店の中でやろうという意思を見せたら、彼は断って、自転車に乗って帰っていきました。なんだつれない奴だなあと思いながら、僕は油そばを食べるために店にはいりました。

 (続きます)

ーーーあとがきーーー

・春日が作ってたボランティアサークルなのですが、Twitterやサイトなどを覗いてみると、どうやらまともにボランティアしているようです。(僕は参加したことないので、真偽は不明ですが…)ただ、僕が世話になった信者の姿は多数確認しました。サークルの活動内容がどうであれ、彼らと仲良くなろうものなら「聖書を勉強してみない?」と誘ってくることは明白なように思えます。ただ、彼らのやり口は巧妙を極めたものなので、そう無節操に勧誘してくるような無様な真似はしないと思いますが…

顕正会日蓮系の宗教で、毎年苛烈な勧誘で逮捕者がでている、摂理に比べて非常に分かりやすいカルト宗教です。(摂理は教祖以外逮捕されていない!!)信者の凝り固まりっぷりを即席で体験できるので、興味のある方は、最近は夕方から夜にかけての駅前に大体いるようなので、そこへ行って話しかけてみるといいでしょう。

カタンは面白かったです。またやりたいですね。

・摂理の勧誘では、偶然性というものが強調されます。「僕たちとこうして出会えて、こうして成約の御言葉を君が聴けるようになったのは、神様によって導かれた、とっても幸運なことである」「この機会を逃したら、もっとも完成された救いを受けることはない」「救われる人間の数は決まっていて、人類全員が救われることはないけど、僕たちは救われる」などと言われます。そしてそれは、信者の脱落を防止し摂理の選民性を強化する役割も担っているものと思われます。いよいよカルト宗教らしくなってきましたね。

・僕は油そばにはいつもラー油とお酢を多めに回しかけて食べます。おいしいです。