交流10 段階的に解禁されていく宗教行為、祈り、賛美歌

 摂理の勧誘手法としては、まず最初に他と全く変わらないような友達関係になるところからスタートし、それから聖書の勉強をすすめ(証するといいます)、それが進んできたら徐々に宗教行為(祈り、賛美歌)をするように誘導していきます。そして最終的には講義の合間に挿入される話に出てくる”牧師先生”が再臨のキリストであると自分から言い出したら、摂理の信者としての仲間入りとなります。今回はその中で、宗教行為に関する話です。

 バイブルスタディが進んでくると「より良く、正しく御言葉を伝えるため」と称して、最初は信者の方が講義の最初と終わりにお祈りをするようになります。そして、話を聞きに来ている僕にも、お祈りをするように勧めていきます。

 例として、バイブルスタディの開始前に行うお祈りで教師役の人が喋る内容を以下に述べていきます。4畳半強の部屋に教師役、僕が椅子に座って目をつむったような状態で、このように喋っていました。

「神様、御子様、精霊様。今日またこうして、(僕の名前)に御言葉を伝えてあげられる機会を恵んでくださったことについて、誠に感謝します。

 今日の御言葉を伝える時間がより良いものとなって、彼により良く御言葉が伝わるように、そのようにしてくださることを、心よりお願い申し上げます。

 また、もしサタンがここにいて、私たちを惑わそうとしているのであれば、それを退けてくださることを、切に願います。

 愛するキリストの名前によって、お祈り申し上げます。

 アーメン。」

と言って、最後の「アーメン」を聞いたのちに他の人(僕)も「アーメン」と唱えました。

 これについて少し解説します。お祈りとは、神様との対話であると言われています。カトリックなら十字を切る動作をしますが、プロテスタントはしません。そのどちらにも属さない異端である摂理ではプロテスタントと同様の形式でした。

 お祈りには詳しい形式はないのですが、”このようにすると良い”と言われるものがあって、それに倣って進めていきます。 

 まず最初に、聖三位(神様と御子様(キリストのこと)と精霊様)に感謝をします。次に、懺悔やお願いなどをしていきます。また、サタンを退けるようなお願いをすることもあります。(サタンとは要するに悪いやつです。人間の悪い行いは全部これのせいにされます。講義に集中できなかったらサタンのせいだと言います)そして一通りのお願いや懺悔、その他様々な独白をしたら、キリストの名でお祈りに封をします。このようにすることで、神様に祈りが届くことが保証されます。そして最後に「アーメン」と唱えます。これはヘブライ語で”まことに、然り、同意します”の意味があります。お祈りを聞いている他の人が「アーメン」と唱えると、聞いていたお祈りに同意したことになって、喋っていなくても全部独白してお祈りしたとみなされます。

 最初は僕はお祈りは断っていたのですが、信者の方に「下手でもいい。要するに神様に伝えようとすることが大事なんだ。」といわれ怒られたりしたことがあります。そこから、徐々に習慣づけられていったと思います。

 そうして、お祈りに抵抗感が無くなってくると、次は「サタンを払い、神様と通じやすくして、より御言葉を良く正しく伝わるようにするため」と称して、バイブルスタディの前に賛美歌を歌うことを進められていきます。このとき歌われる賛美歌は教祖チョンミョンソクが作成したものであると教えられたのですが、この賛美歌こそが、僕が摂理に対して明確に違和感を持ち始める最初のきっかけになったのです。

(続きます)

ーーーあとがきーーー

・この「サタン」というものは、一般に良く知られた、キリスト教で良く出てくる悪魔です。これは他の教会でも同様なのですが、信者同士で問題が起きたり、何か失敗したりすることなどが起きたとき「これはサタンのせいだ」とよく言います。このようにしてサタンをスケープゴートにすることで、信者同士のもめごとなどの解決を図ることが良く行われています。(無意識的に行っているものですが)

・摂理の信者にお祈りについて習ったとき、”瞑想”と”お祈り”の違いを「瞑想は自分に対して集中するけど、お祈りは神様に対して集中する」と教えられたことがあります。当時の僕の実感としては、目をつむって何も考えないようにすることよりも、神様という適当な対象を想定して、それに注意を向けることに専念することは、何も考えないようにすることよりも容易な集中方法だなと言うものがありました。これに関する考え方については今でもあまり疑問を持っていません。

・「何かおかしいとか、疑問を生じたりしたら、お祈りをして、神様に自分の向かうべき道を教えてもらいなさい」と摂理の人たちにはよく言われました。ただ、神様から教えてもらえるようなことは全て摂理の人間によるバイブルスタディで吹き込まれていくので、摂理の連中に倣ってお祈りをすると、最終的に彼らの都合の良い結論へと方向づけられてしまいます。自分から自発的にやらせるように仕向けたお祈りという習慣に、彼らに都合の良い答えへと誘導する機能を付けていることは、摂理のマインドコントロールの鮮やかさを際立たせているものがあるように思われます。