交流9 摂理に入れ込んでから行った「食事会」/”霊体”について

 摂理の御言葉のなかでは、人は肉体(body)、心(soul)、霊(spirit)の3つでできていると教えられます。心と霊の区別は難しく感じられると思いますが、人間の肉体的でない部分の活動のうち、神様関係の部分のことが霊であると考えれば差し支えありません。この霊を向上させるということを、摂理では至上命題の一つとしています。宗教活動や禁欲(これに飲酒や恋愛の禁止も入るのですが!)、その他様々な”良いこと”をすることによって、霊を向上させることを目指しています。そのため、普通のボランティア活動や慈善活動といったことを信者は進んで行ったりします。そうして霊の向上のために活動する信者を褒めたたえたりする習慣があったりするのです。今回はそれに関したお話です。

 御言葉を聞きに行っていたころ「普段の御言葉とは別で食事会をやるんだけど、こない?」といったお誘いがありました。その準備から参加することになったので、18時に彼らのマンションに行ったことがありました。

 参加した人のほとんどは摂理の信者でした。このブログに載せた人で言えば、春日、山田、佐々木、(みな仮名です)がいたのは覚えています。熊沢(仮名)もいたかもしれません。

 今回の食事会では餃子が供されることになっていました。それと10合の米だけという、とにかくマッチョな食い合わせだったのを覚えています。そうしてご飯を食べつつ、御言葉の話をいろんな人と交わしていたと思います。

 僕は当時、毎日のごとく御言葉を聞きに行っていたので、様々な人に褒められました。それはもう褒め殺しです。ただ、そのほめ方というものが結構変わったもので、電通大OBの佐々木なんかは

「いやあ、俺ね、他人の霊が見えるんだよ。ほんとだぞ?もう最近の君の霊なんか、滅茶苦茶成長してるのが感じ取れるし、見えるんだ。いやあここまで成長の早い霊体をもつ人なんかなかなかいないよ。流石だねえ。頑張っているんだねえ。」

 などといっていました。それに限らず、他の人たちも霊体の話をしてわいわいと騒いでいたと思います。僕は、これ言わんとしてることはまあわかるんだけど、何も知らない部外者から観たら、すごく気持ち悪い光景に見えるだろうなと考えていました。まるで変な宗教みたいだ!でもまあ、このような独特のノリみたいなものは、ほかの業界でもあるものだと思っていました。(僕は高校時代演劇部に所属していましたが、その場で即興劇を始めたり、あいさつ代わりにお姫様抱っこするとか、そういった奇怪なことを部内でやっていたりしていました。それに類する?ような身内独特のノリです。)彼らは聖書の勉強会を中心にして集まっているんだから、こういった独特の会話で盛り上がるんだろう。その程度に考えていたので、あまりびっくりすることはありませんでした。

 また、霊の話をしていると佐々木から

「俺も霊がわかるんだけど、よく聞いてる御言葉を最初に伝えてくださった牧師先生はもっとすごくて、何も見なくても一瞬でその人の霊体を見抜くような素晴らしい能力をもっておられるんだ。やっぱり聖書を2000回読むような先生は凄いなあ。君にも一回あってほしいなあ。」

 と、しきりに”牧師先生”なるなんかすごい人物の宣伝をよくされたことも覚えています。

 そのような、以前のものよりも更に一歩進んだ、ある意味「気色悪い」雰囲気を楽しんでいたりしていました。

(続きます)

ーーーあとがきーーー

・人が肉体(精神もですが、よく忘れられます)を持つ理由は、肉体が生きている時間の間だけしか霊体を育てることはできないからであると言われます。なので、摂理には「一日1時間を無駄にしたら、一年で365時間、80年で29200時間無駄にしてしまう。そのような時間を1秒たりとも作ってはならない。その間に、霊を成長させる貴重な時間を無駄にしてしまう」といった、実績はないくせに意識だけ高い自称進学校的なノリがかなりありました。

・霊を成長させる理由は「神様は全知全能であるが、唯一無二である(一人しかいない)ために、愛する対象がなかった。だから、自分と愛し合うための存在として、人間を自らの姿に似せて作った。だから、神様が人間を創った理由は、自らの恋人・新郎新婦、すなわち愛し合うための存在を欲したためである。人間は、その神様の目的に沿うために、神様と恋人にならなくてはならない。しかし、神様は霊的存在であるから、神様と愛し合うためには、霊を神様の恋人にふさわしいくらいに育てなければならない。」という摂理の教義に拠るものです。つまり彼らの解釈では、神様というものは(彼女いない歴=年齢)の非リアの陰キャということになるわけです。なかなか神をも恐れぬ無礼ですね。

・上述のような、神の愛を恋愛や家族愛のように解釈したりすること、また淫蕩な行いを戒めること(摂理は恋愛禁止です)などは、韓国系の新宗教に特有のものです。このような聖書解釈は、朝鮮文化によるものであると推察されます。

・人は肉体、心、霊の3つでできている。ということは、摂理に限ったものではなく、キリスト教文化特有のものです。WHOの定める健康の基準の英語版にはこれら3つが完全な状態であることが健康には必要であると言われていたりします。

参考:原語版の”健康(Health)”の定義

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

ここに"spiritual"、霊について述べられている箇所がありますね。

・目的が宗教チックないかがわしいものであれ、宗教にはこのような社会福祉を担い、推進する役割があるように考えられます。難解で、部外者から見てどうでもよい理由のためとはいえ、信者にこのような活動を進んで行おうとさせる環境を宗教は持っているようです。このような、一般社会に対して貢献するような側面を持っていることは、宗教の良い部分であるとも思っています。