交流2 信者主催の「食事会」に参加したこと。

 2018年12月初旬ごろのことだったと思います。生協前でアンケートを取っていた春日(仮名)から、食事会に誘われました。どこでやるかは知らされていませんでしたが、とりあえず電通大の寮にあるセブンイレブン電通生にはドムセと呼ばれているところですね)に19時に来てくれと言われたので、指示通りにそこで待ち合わせをしていました。合流の後、食事会をやる場所まで案内してくれました。

 春日曰く、自分は他の電通大生と一緒にシェアハウスをしており、今日やる食事会は自分たちのマンションでやるとのことでした。待ち合わせ場所からそう遠くはないところにそのマンションはありました。そこはなかなか広いところで、いくつかの部屋に、ピアノやギターなどの楽器、10合の米を炊ける炊飯器、ソファなどの各種家具などがあり、なかなか”意識の高そうな”部屋だなあと感じていました。

 ついてみると、もうすでに先客が何人かいたかと思います。提供される食事はなべ物らしく、それらの準備をしている人もいたと思います。ただ、まだ来ていない人などもいたので、待っている間、春日が大きめのホワイトボード(なぜあるのだ!)をどこからか持ってきて、適当なレクリエーションをしていました。

 そうしているうちに、来客はそろったようでした。来ている人は殆どが電通大生で、僕と同学年(1年生)はあまり多くなかったかと思います。ただ、一人、電通大のOBだというスーツ姿の男がいました。(今後出てくるかもしれないので、佐々木(仮名)と呼ぶことにします)また、やはり運動の類をやっているという人は結構いたかと思います。人数は20人に届くか届かないかという程度だったので、テーブルを二つに分け、それらに適当に座っていました。

 僕が座ったテーブルでは、ほぼ全員が上級生だったかと思います。また、佐々木もここに座っていました。そこで鍋物を食べつつ、自己紹介をしたり、適当な会話(スモールトークという言い方があるようです)をしたりして、適度に交流をしました。

 それなりに時間が経ち、機が熟したころだったでしょうか。テーブル内の人たちで順番を変えながら、指示されたか、仕向けられたか、定かではないですが、とにかく皆あることについて喋るようにされました。

 そのあることとは

「なぜ電通大にきたのか?」

「自分の好きなこと、やりたいことはなにか」

「将来何をしようと考えているのか」

などといった、自己啓発的な、ちょっと踏み込んだようなことでした。そして、一人がそのようなことを喋り、それをテーブル内の皆が割と真剣に聞く、たまに質問をする、そのような活動をしていました。

 僕は好きな物理のこととか、やりたい研究のこととか、またやっていた演劇のこととか、そのようなことをべらべらと喋っていたかと思います。他の人の中には、自転車が好きで、それについて喋っている人とかもいました。

 そうしていくうちに、話題の焦点が、進路の話になっていたかと思います。交流1でアンケートととっていた二人組のうち、春日ではない方(金木(仮名)と呼ぶことにします)がこのようなことを言っていたのを覚えています。

「今、自分は電通大にいて、何となく過ごしていたけど、時折”自分ってなんだろう?”って考えることがあるんだ。電通大は単位が来ないとか留年率が高いとか言われるけど、正直適当に過ごしていたって単位はとれるんだよ。そうしてこれといった目的もなく進級して、今は大学院にいくことになっていて、電通大生、あるいは大学院生とか言った肩書を持っている。けど、自分という存在を、それこそ無限大の極限にぶっとばして、そうして自分のありとあらゆるステータスをはがしたとき、自分には何が残るのだろうって、不安になるときがあるんだ。」

 極限にぶっとばす、といった理系風の表現が気に入ったので、金木の話はそこそこ覚えていました。また、順番がまわってきた電通大OBの社会人佐々木は、このようなことを言っていたと思います。

 「うちの会社には昔、携帯を作る部門があったんだ。俺が今の会社に入社したころは、ガラケーが流行っていたんだ。当時は携帯と言えばガラケーの時代で、皆ガラケーを持っていた。だから入社希望の人たちには”ガラケーをつくりたいんです!”という人が多くいた。けれどしばらくして、携帯業界に”黒船”がやってきたんだ。そう、Apple社の"iPhone"だ。これが来て以来、携帯部門はどんどん衰退していって、最終的にはなくなってしまったんだ。こうなると、ガラケーを作りたいといってこの会社に来た人たちはどうなると思う?ほかの部門に回されたりしたが、多くの人はモチベーションを無くして、結局落ちこぼれてしまった。そういう人たちを俺はたくさん見てきたんだ。だから、学生の皆に言いたいのは、何か一つのことをやろうとして、そればっかりになると、あるとき、それこそ”黒船”のようなものが来て、それで人生が台無しになることがあるから、”一つのことだけを考えて行うな”ってことだな。」

 このようにして、佐々木含む先輩たちからなんだか有難いお話を聞いたりしていました。話の途中で配られた差し入れのコージーコーナーのデザート(たしか僕はモンブランを頂いた気がします。)を食べたりするなどもしました。おいしかったです。

 そうしていたら、夜も遅くなってきていたので、シェアハウスしている学生何人かを除いては帰り支度を始めていたかと思います。参加費の500円を最後に支払って、帰路に就きました。

(つづく)

 

ーーーあとがきーーー

 当然のことですが、ここで出てきたシェアハウスをしている電通生は皆信者です。直接見たことはないですが、勧誘活動や、(後述すると思いますが)信者になりそうな人間の”管理”などのミーティングを行っていたものと推察されます。そうでなければ、こんな催し物やらをすることは非常に困難でしょう。

 「食事」というものは、摂理では最も重視されているものの一つであるように考えられます。連中と長くかかわっていると、「教祖のチョンミョンソクは当時貧しかった韓国の、貧しい農家に生まれたため、食べるものがほとんどなかった。だけど、あの偉大な先生は、そんな中でも、飢えた人に食べ物を与えることを惜しまなかった」みたいな話を嫌というほど聞かされ、刷り込まれていきます。そのため、布教活動、また信者同士の活動の中でも、「食事」というものが重視されてくるものであると考えられます。

 部屋にあった楽器の類は賛美歌の演奏に使われているのを見たことがあります。そのような用途のためにおいてあるものと推測されます。

 ここで金木が話していた内容のようなことは、信者になった人たちは皆言っていました。「自分は何のために生きているのだろう」「今の生活が面白くない、つまらない」そのような心の間隙に、カルト宗教は入り込んでくるものであると、信者たちを見たり、実際に接してみたりして思いました。

 佐々木の話は実体験に基づくものであると思いますが、”一つのことを考えて行うな”というのは教祖であるチョンミョンソクの語録であると考えられます。(彼らは「聖書由来だ!」とよく言っていましたが…)これは摂理と関わっていると大変よく聞きます。

 ”~行うな”のような、断定口調で語られる他の言葉群もまた多くあるような印象もありました。これは朝鮮語由来の言葉特有のものなのかなと推測していますが、正しいかどうかは知りません。